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『作家/作者とは何か - テクスト・教室・サブカルチャー』日本近代文学会関西支部編 和泉書院 2015年11月 ISBN:978-4-7576-0774-3

目次

まえがき

第I部 シンポジウム「文学研究における〈作家/作者〉とは何か」
報告(1) 登場人物の類型を通して作者は何を語るか──私小説を起点に・・・・・・日比嘉高
報告(2) ジャンル・文体の社会的機能と〈作者〉──〈書く読者〉から見た夏目漱石――・・・・・・北川扶生子
報告(3) 教室の中の〈作家〉―─伝記教材における作家像・・・・・・木村功
報告(4) 〈作家/作者〉はなぜ神話化されるのか──文芸解釈の多様性と相対性・・・・・・中村三春
全体討議のまとめ

第II部 〈作家/作者〉を考える
■拡張する〈作家/作者〉イメージ
 「こゝろ」論争の本位──〈作者〉問題の向こう側・・・・・・内藤由直
 交錯する「立体」――テクストと作者をつなぐ通路・・・・・・田口律男
 文学の教養化と作家の効用――国文学・鑑賞主義論争にふれて・・・・・・小平麻衣子
 作者と訳者の境界で――ロラン・バルトから森鴎外へ・・・・・・野崎歓

■教室のなかの〈作家/作者〉
 「古典」との橋渡し役としての「近代以降の代表的な」「作家」──平成20年版中学校学習指導要領を視点として・・・・・・宮薗美佳
 話者の判断の表れた言葉に着目して「高瀬舟」(森鴎外)を読む・・・・・・寺田守
 答えのない「謎」をめぐって──国語教材になった村上春樹の短編作品・・・・・・清水良典

■サブカルチャーと〈作家/作者〉
 TVアニメにおける〈作家/作者〉──『魔法少女まどか☆マギカ』における演出スタイルから・・・・・・禧美智章
 ホラー作家はどこへ行く──「実話怪談」系文庫の変遷を軸に(附)「実話怪談」系文庫リスト・・・・・・奈良崎英穂
 創造され続ける「私」(「作者」)──さくらももこ作品における「神」と〈笑い〉・・・・・・山田夏樹

あとがき・・・・・・大橋毅彦

和泉書院 http://www.izumipb.co.jp/izumi/modules/bmc/detail.php?book_id=128934

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『立命館言語文化研究』/立命館大学国際言語文化研究所 27巻1号 2015年10月
「特集・西川長夫─業績とその批判的検討」

目次

第1回 戦後日本文学と国民国家論─廃墟の光を求めて─
中川成美「西川長夫『日本の戦後小説─廃墟の光』を考える──文学と戦争責任──」
Brett de Bary「廃墟の光に見られる「暗い絵」──西川長夫先生と野間宏──」
林 淑 美「非国民の反国民国家論──坂口安吾の謀叛──」
内藤由直「野間宏『真空地帯』と国民国家論──国民化される肉体の裂け目──」

第2回 国家イデオロギー装置としての大学──そこで研究・教育するということ
高橋秀寿「はじめに」
今野晃「国家のイデオロギー装置としての大学──西川長夫と批判的知の可能性──」
番匠健一「「廃墟」としての大学で生きること──国家イデオロギー装置と脱出の回路──」

第3回 韓国における国民国家論
高橋秀寿「はじめに」
金 杭「国民国家は「どう」超えられるべきか? ─韓国における西川長夫をめぐる議論を中心に─」
沈煕燦「ボナパルティズム論から私論へ──西川長夫の「国民国家論」と植民地朝鮮──」
原佑介「「引揚少年」としての西川長夫と韓国」

第4回 国民国家論の越え方
中本真生子「はじめに」
松塚俊三「「国民国家論」と世界史」
加藤千香子「国民国家論と戦後歴史学──「私」論の可能性──」
長志珠絵「国民国家論がたちあがるとき」
崔博憲「西川長夫の国民国家論と「移民」」

第5回 〈新〉植民地主義論の射程
西成彦「はじめに」
平野千果子「国民国家と植民地主義──最後の海外県マイヨットを手がかりに──」
中村孝之「西川長夫の著作における〈新〉植民地主義のテーマについて」
原口剛「都市の植民地主義と「棄民」──寄せ場・野宿の思想と実践からの問い──」
大野光明「〈新〉植民地主義論という光のもとで「沖縄問題」を考える──創り出される現場から──」

「西川長夫へのインタビュー(2011年、於ソウル)  パリの68年5月革命と日本/韓国への影響」
聞き手:金元、金杭 /訳:原佑介

立命館大学国際言語文化研究所 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/lcs_index.htm
2015年9月19日(於・立命館大学)開催の第20回研究会の様子をご報告します(つづき)。

第2部 研究発表
・鳥木圭太氏「同化と異化の狭間で――佐多稲子「髪の嘆き」にみる植民地的主体の形成」

 これまで「抵抗」か「協力」かといった二項対立的な視点から論じられる傾向にあった佐多の戦時下作品について、大きな読み直しが必要なのではないかという問題提起的な議論であった。上司の日本人男性に対する「混血」女性のあからさまな尊敬の念には、佐多の皮肉が込められているとしながらも、それを時局批判として機能させることが目的だったのではなく、エスニシティとジェンダー、そして階級によって人間が重層的に絡め取られる植民地空間の暴力性こそが描き出されている作品であるという指摘は説得的であった。そこには佐多自身が体験しつつある「転向」とのアナロジーな関係があったのではないかという研究の展望部分については、プロレタリア文学運動の中で佐多が描いてきたテクストをふまえたさらなる分析が必要ではあるが、戦後70年を経てようやくテクストと冷静に向き合えるようになったことの意義は大きい。それは、私たちが植民地体験を失ったからではなく、その反対に、遍在する植民地的状況をリアルに感じられるようになってきたからだと思われる。プロレタリア文学とは何だったのかを問い直す上でも、戦時下の佐多作品の分析がますます重要であることに気づかされた。


和田崇氏「浅井花子の〈愛情の問題〉」

 1930年代の労働運動・プロレタリア文学運動の中で活躍しながら、戦後に忘れられた作家浅井花子についての基礎研究である。熊本出身、京都の撮影所で働いたあと1935年に作品を発表し始め、第一回芥川賞候補となった。のちに小樽に渡り、戦後も文学活動を続けたという。和田氏は浅井作品の特徴的な題材や描写について分析するとともに、当時のプロレタリア文学における「愛情の問題」の中でどのような位置を占めるのかを検討した。その結果、男性作家の主導で進められた論議に対して、きわめて重要な異議申し立てをおこなっていたこと、「忘れられた作家」となったこと自体が、そうした論議の一つの帰結とも考えられることなど、重要な指摘がなされた。労働運動にたずさわりながら紙芝居説明者として生活を維持する女性(一児の母)を主人公とする「泥濘の春」が、女性の説明者についてほとんど書いていない加太こうじ『紙芝居昭和史』に対する異議申し立てになっているようにも感じられた。戦後は、小樽で活動を続けたということであり、今あらためて地方における文化運動を掘り起こすことの重要性を再認識させられた。


伊藤純氏「プロレタリア文学運動をめぐる人物像──1930年代の写真画像から」

 かつて貴司山治が撮影した写真のガラス乾板が伊藤氏の自宅から大量に発見され、その中から小林多喜二虐殺後の通夜の写真などが見つかったというニュースが多喜二命日の2015年2月20日『朝日新聞』夕刊に掲載された。伊藤氏は『フェンスレス』第3号でそれらの写真の報告と検証をされているが、今回はその続報である。転向出獄直後と思われる中野重治などが写された新発見の写真が含まれていて、改めてカメラマニアだったという貴司山治の多才ぶりに驚く。四次元ポケットのように新たな資料が発見される伊藤氏宅の奥深さよ。抽象的な言い方になってしまうが、写真による記録が時間を超えるということ、人間の存在をふたたび生々しいものとして蘇らせるということに身の毛がよだつような感覚を覚えた。しかるべき方法でこれらの写真が全体として整理され公開されることを期待したい。


 その後、懇親会場に席を移し、なごやかな歓談が続きました。
(文責・村田)
2015年9月19日(於・立命館大学)開催の第20回研究会の様子をご報告します。


第1部 『フェンスレス』第3号合評会 

 論文・記事の執筆者から要旨をお話しいただいたあと、ゲスト・コメンテーターとしてお迎えした森下明彦さんと会員の岩本知恵さんからコメントをいただきました。

 森下さんは、「メディア・アーティスト/美術・音楽・パノラマ愛好家」というお立場から、主に映像作品を扱った記事についてのお話でした。とりわけ、映像の「物質性」と「一回性」を重視すべきであり、資料の現存様態や、どのような場所・状況でそれを見たかといった点をきちんと記録すべきであるという貴重なご指摘をいただきました。

 岩本さんは、特集論文3本を丁寧に要約したうえで、それぞれ論点を出して議論を喚起してくださいました。また、編集に関わった村田から特集テーマ「廃墟の空間論・帰郷の反美学」について若干の補足説明を行いました。

 その後、会場全体での討議がおこなわれました。

 Q:宮本百合子にとって「故郷」はどのようなものとしてイメージされていたのか?

 池田:『播州平野』には疎開先でも夫の実家でもどこかなじむことのできない主人公の姿が描かれている。そんな百合子にとっての故郷は、まだ到来しない社会主義的ユートピアだったのではないだろうか。

 Q:主人公のひろ子の視点が「庶民」と同一化するとあるが、作中には同一化しえない視点も描かれているのではないか。

 池田:むしろ、同一化しえない立場というのが前提にあり、いかにそれを乗り越えていくかという課題に答えようとして発見されたのが「被害者」という立場ではなかったか。

 Q:安部公房の「開拓村」を「責任」という観点から読むとどのような読み方ができるのか?

 坂:都市育ちである安部はどうしても農民を一面的に「弱者」としてしか捉えられていないため、彼等を責任ある主体とは描けなかったと考えられる。

 Q:稻垣足穂の場合、絵画表現との比較から文学にはどのような独自性が指摘できるのか?

 高木:足穂は小説家になる以前、画家志望だった。彼が小説家に転向したのは、より自由な造形力を文学に看取したからだ。たった一行でモチーフを描ける。たった一行で記憶をオーバーラップできる。広い意味で造形作品(足穂の言葉を借りれば「工芸品」)として制作されるところに、足穂文学の独自性がある。

 以上のほか、活発に議論が交わされ、予定の時間を大幅に超過してしまいました。この小さな研究会に気さくにおいでくださった森下さん本当にありがとうございました。
(文責・村田)
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池田啓悟 『宮本百合子における女性労働と政治 一九三〇年代プロレタリア文学運動の一断面 』が刊行されました。
(風間書房 2015年4月 立命館大学文学部人文学研究叢書 ISBN-13: 978-4759920833)


《目次》

序章

第一章 与えられたプロレタリアート
・第一節 プロレタリア作家としての百合子
・第二節 作品の舞台とナップの方針
・第三節 日記の中のソ連、評論の中のソ連
・第四節 対決の不在
・第五節 植民地の影
・第六節 プロレタリア文学運動の中で

第二章 〈接点〉の発見
・第一節 「女事務員」の世界
・第二節 内なる亀裂
・第三節 「気風」による分断
・第四節 抵抗と抑圧の文化サークル
・第五節 方針を越えて

第三章 運動の中の抑圧
・第一節 プロレタリア・リアリズムと題材の固定化
・第二節 「主題」と「題材」
・第三節 「愛情の問題」の系譜
・第四節 〈論争〉としての『真知子』
・第五節 「正しい認識」と「愛情の問題」
・第六節 論争の〈中絶〉

第四章 「宮本百合子」の生成
・第一節 〈改稿〉される関係性
・第二節 〈指導〉と〈改姓〉
・第三節 「女給」という〈労働〉
・第四節 ねじれる関係性

第五章 統御とダイナミズム
・第一節 「雑沓」系列の方法
・第二節 社会主義リアリズムの登場とプロレタリア文学運動
・第三節 「何を如何に」の二重性
・第四節 イデオロジカルな語り手

終章 〈空虚さ〉の行方
・第一節 「三つの庭」と〈空虚さ〉
・第二節 〈生〉と〈性〉の充足
・第三節 〈家庭〉という枠組み
・第四節 〈空虚さ〉の正体
・第五節 〈自然〉と〈階級〉


 宮本百合子のプロレタリア文学作品は、プロレタリア文学運動の方針への忠実さと、
自身をプロレタリア作家へと突き動かした社会の不当さへの闘いとのあいだで揺れ動いている。
彼女の作品が抱え込んだ矛盾とその展開をたどる。