2015年9月19日(於・立命館大学)開催の第20回研究会の様子をご報告します。


第1部 『フェンスレス』第3号合評会 

 論文・記事の執筆者から要旨をお話しいただいたあと、ゲスト・コメンテーターとしてお迎えした森下明彦さんと会員の岩本知恵さんからコメントをいただきました。

 森下さんは、「メディア・アーティスト/美術・音楽・パノラマ愛好家」というお立場から、主に映像作品を扱った記事についてのお話でした。とりわけ、映像の「物質性」と「一回性」を重視すべきであり、資料の現存様態や、どのような場所・状況でそれを見たかといった点をきちんと記録すべきであるという貴重なご指摘をいただきました。

 岩本さんは、特集論文3本を丁寧に要約したうえで、それぞれ論点を出して議論を喚起してくださいました。また、編集に関わった村田から特集テーマ「廃墟の空間論・帰郷の反美学」について若干の補足説明を行いました。

 その後、会場全体での討議がおこなわれました。

 Q:宮本百合子にとって「故郷」はどのようなものとしてイメージされていたのか?

 池田:『播州平野』には疎開先でも夫の実家でもどこかなじむことのできない主人公の姿が描かれている。そんな百合子にとっての故郷は、まだ到来しない社会主義的ユートピアだったのではないだろうか。

 Q:主人公のひろ子の視点が「庶民」と同一化するとあるが、作中には同一化しえない視点も描かれているのではないか。

 池田:むしろ、同一化しえない立場というのが前提にあり、いかにそれを乗り越えていくかという課題に答えようとして発見されたのが「被害者」という立場ではなかったか。

 Q:安部公房の「開拓村」を「責任」という観点から読むとどのような読み方ができるのか?

 坂:都市育ちである安部はどうしても農民を一面的に「弱者」としてしか捉えられていないため、彼等を責任ある主体とは描けなかったと考えられる。

 Q:稻垣足穂の場合、絵画表現との比較から文学にはどのような独自性が指摘できるのか?

 高木:足穂は小説家になる以前、画家志望だった。彼が小説家に転向したのは、より自由な造形力を文学に看取したからだ。たった一行でモチーフを描ける。たった一行で記憶をオーバーラップできる。広い意味で造形作品(足穂の言葉を借りれば「工芸品」)として制作されるところに、足穂文学の独自性がある。

 以上のほか、活発に議論が交わされ、予定の時間を大幅に超過してしまいました。この小さな研究会に気さくにおいでくださった森下さん本当にありがとうございました。
(文責・村田)

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