佐々木氏は、1949年8月に「表現」へ発表された版である安部公房「デンドロカカリヤ」を取り上げ、安倍が登場人物それぞれの立場を描き出す上で拠っている文献に関する分析を行なった。具体的には、語り手である「ぼく」は「ダンテの神曲」、「ドゥイノの悲歌」に、コモン君は「一冊のギリシヤ神話」、H植物園長はカー・アー・ティミリヤーゼフの「植物の生活」内の記述に依っているとのことであるが、私は発表を聞きながら安倍がどのような経緯でティミリヤーゼフの著作に触れたかに興味を抱いた。経緯については調査中とのことであるが、今後の研究の展開を楽しみにしたいと感じた。また、個人的な興味としてデンドロカカリヤ=ワダンノキをめぐる戦後の小笠原諸島の問題にも興味を抱きながら発表を聞いていた。質疑応答は、坂堅太氏や岩本知恵氏、程非凡氏などといった安部公房研究者が揃ったこともあり、非常に活発な意見の交換が行われた。質疑の中では顔を境界にした人/植物への変化を扱った他の作品との発展の可能性や、安部が作品に進化論を取り入れた意味などが意見として提示された。発表や質疑応答を聞きながら、改めて安部公房研究の活発な状況を窺い知ることができた。
轟原麻美氏 司馬遼太郎『坂の上の雲』論――柳原極堂「友人子規」との比較から――
轟原氏は、司馬遼太郎『坂の上の雲』と柳原極堂「友人子規」を比較し、『坂の上の雲』などの司馬作品に対する「本当らしさ」の生成過程を探る発表を行なった。発表では、司馬『坂の上の雲』内の記述が、ことごとく柳原「友人子規」内の記述に酷似していることが示された。もちろん司馬は細部を書き換えてはいるものの、あまりの酷似ぶりには驚きあきれる思いを抱かざるをえなかった。ただ、司馬に限らず歴史的事象を扱う文学作品において、証言や記録といった典拠の記述をいかにして独自の表現に昇華させるか、もしくは研究者もそのような作家の苦悶の痕跡をいかにして捉えることが可能か、このような問題提起としても今回の発表は非常に示唆に富むものであったと感じた。轟原氏は結論において、「史実に100%基づいて書いた」といった司馬の言説を覆すことができると述べていたが、前回の轟原市の発表と併せ、あらためて『坂の上の雲』をめぐる言説の問題が浮き彫りになったとの感を抱いた。また作中における方言について、誰が正誤のチェックをしていたのかといった疑問が質疑応答でなされたが、私も沖縄の文学を扱う上で作家が使用した方言については注意しなければならないと常々思っていたので、この問題についても轟原氏のさらなる考察の提示を期待したい。
両氏の発表後、泉谷氏によって占領開拓期文化研究会の第1期の終了と、次回からの新体制移行の報告が行われた。詳細はあらためてメンバーに連絡されるとのことであった。
(文責:栗山雄佑)