第27回占領開拓期文化研究会印象記(2018年1月21日 於立命館大学)

ヴレタ・ダニエル氏 武田麟太郎「ある除夜」について

 ダニエル氏は、井原西鶴から影響を受けていた武田麟太郎に注目し、武田が西鶴を摂取した最初の作品である「ある除夜」の考察を行った。発表では、年譜や武田の記述を基に、彼が「大阪人」としてのアイデンティティとリアリズムの観点から西鶴を評価し著作に摂取した足取りを辿り、また武田が表現の自由を求め風俗作家に転向したことが示された。その上で、「ある除夜」について、西鶴「平太郎殿」との共通点と武田が焦点を当てた場面、作中に登場する労働者の「ヒソヒソ」と行われる運動の相談の描写、そして旧来の風景を圧迫するかのように進出する大資本に対する武田の批判意識が指摘された。
 発表の総括において、ダニエル氏が提示したプロレタリアを書くために「西鶴的に書く」ことに代表される武田の試みについては、個人的にも興味深かった。質疑でもあったが、作品で描写された近代的な空間の合間にある旧来の光景とのコントラスト、そして武田における「大阪人」というアイデンティティの問題など、今後のさらなる考察を聞きたいと思った。

藤原崇雅氏 武田泰淳『中国忍者伝 十三妹』における白話小説の受容

 藤原氏は、中国文学者としての経歴を持つ武田泰淳が、白話小説の大衆化を企図し執筆されたと推定される『中国忍者伝 十三妹』を取り上げた。そして、先行論が作品の主題に迫りきれていなかったことを踏まえ、典拠となった白話小説との差異、作品が表出した問題について考察を行った。考察では、泰淳が底本とした刊本の特定と作中で登場する人物の出典が示された。また、社会的な不正を英雄が正すといったメインプロットに、泰淳が『三侠五義』における韓少年の挿話を十三妹が話す〈ややこしい話〉として接合したことについて、女性に対する暴力によって清朝の腐敗を強調する物語が形成されたことが指摘された。その上で、十三妹が清朝における男女の不均等な関係に対する抵抗の記号として民衆に流通していることを示し、泰淳が十三妹の語らなさから一般の女性にならんとする女性を烈婦として主体化する暴力を記述したことが示された。
 藤原氏の発表の主軸に置かれていた女性に対する抑圧、暴力、そして女性を烈婦として主体化することの問題は重要な指摘であると思う。男性社会に対峙する女性に対する期待、そして消費が、1960年代において中国における烈婦、日本におけるくノ一といったキャラクターに担わされていたことについては、個人的にも考えたい問題であり興味深く聞いていた。


轟原麻美氏 〈明治百年〉における小説と歴史学―司馬遼太郎『坂の上の雲』論

 轟原氏は、歴史学を中心に論じられてきた司馬遼太郎『坂の上の雲』の文学性の検討を行い、作中における「天佑」といった言葉と主人公である秋山真之の関係について考察を行った。考察では、まず一九六七年の明治百年の祝賀とこれに対する歴史学者からの批判を踏まえつつ、作品が明治百年に併せて発表されたこと、2009年に作品がドラマ化された際に歴史学者から批判が相次いで発表されたことが示された。その上で、歴史的事象を書いていないことの問題、そして文学として解釈を行う必要性が提起された。その上で、作中において繰り返される「運」そして「天佑」に着目し、戦果を「天佑」と捉えることが歴史学の範疇を超えたものであり、かつ秋山真之に関連したものであるとした。そして秋山の伝記を援用しつつ、「天佑」といった非・歴史科学的な事象の描出によって文学の観点から戦争と一個人の関係が描かれていることが明らかにされた。
 「司馬史観」に代表されるような歴史学からの評価の合間から、文学として『坂の上の雲』を評価しようとした考察は、大変興味深いものであった。折しも明治百五十年を寿ごうとする昨今において、明治百年の祝賀に対する作品の位置を探る試みは意義深いものであると感じた。

 3氏の発表後研究会総会が行われ、事業報告の後に研究会の今後の活動についての提案が行われた。

(文責:栗山雄佑)

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