2021年3月10日、第35回占領開拓期文化研究会が開催されました。
今回はオンラインでの開催となりましたが、多くの方々にご参加いただき、盛会となりました。
以下にその様子をご報告いたします。
・神山奈央氏「「美しさ」と「暴力」、そして「意思としての痙攣」――川端康成『片腕』をめぐって――」
川端康成『片腕』を題材に、既存の解釈とは異なる精緻な読解を仕掛ける発表であった。従来、現実離れした幻想的な美しさが読まれがちであった本作に対して、神山氏は批判的な距離をとる。本作に充溢するその幻想性が、性暴力を覆い隠すヴェールとしても機能しているという氏の指摘は重要だろう。「私」の語りによって不可視化されているものが、丁寧なテクスト読解によって炙り出されていく。同時代状況との接続から「私」が内面化しているジェンダー規範を明確化したうえで、その語りに埋め込まれている暴力性を見極めていく読解は手堅い。細やかな言葉遣いや言い淀み、発話の遮断といったかたちでテクストに刻み込まれたさまざまな痕跡から、氏は「片腕」にとっての(「私」が見ようとはしない)〈真実〉を取り出してみせる。「痙攣」として現出する運動性を、幾重にも抑圧された状況のなかでなおも絞り出される微かな抵抗の声として聴き取る解釈の姿勢には刺激を受けた。質疑では、「私」(ないしはテクスト)の抱えるミソジニーの重みづけについて、とりわけ、1960年代のシュルレアリスムをめぐるコンテクストのなかで、本作から抵抗可能性を切り出すことの困難さが指摘された。そのうえで、抵抗の兆しを平板化してしまう語りの巧妙さにいかに抗うのか、その戦略性をめぐって議論が交わされた。なお、神山氏による本発表は既に活字化されているので(『昭和文学研究』第83集、2021年9月)、そちらも併せて参照されたい。
・藤原崇雅氏「武田泰淳「審判」論 上海現地資料による注釈の試み」
武田泰淳「審判」に描き込まれた戦後上海という舞台の歴史性をめぐって、当地の同時代資料に広く目を配りながら、その具体的な様相を明らかにしていく論考であった。これまでは資料不足もあって等閑に付される傾向が強かった本作の舞台設定について、その歴史的な背景を細かく読み込んでいく藤原氏の考察は極めて実証的であり、資料的価値を高く有するものである。作中人物である杉や二郎の動向について、氏は、それらが蔣介石派国民党による居留民管理政策を具体的な背景として措定できることを、資料に基づきながら指摘していく。上海当地の日本語新聞や国民党系のメディアほか、中国語文献も含めた多数の資料の博捜から作中の記述を肉づけしていく試みは、氏ならではの研究成果だろう。そのうえで、国民党による宣導政策と戦争責任問題のかかわりをめぐって、杉と二郎の形象を比較しながら分析が加えられた。戦時下における二郎の加害は、宣導の枠組みにおいては不問に付され、殺しの記憶と身体感覚は反復されながら戦後も残り続けていく。杉に見られる責任感覚の薄れと併せて、宣導政策が構造的に抱える問題領域の在処――人民の戦争責任の性急な解除と、それによる暴力性の無批判な温存――が、本作の記述を通して明らかにされた。質疑では、杉と二郎の両者における責任の内実の差異をより明確化する必要性が指摘された。さらに、二郎に出来する身体感覚をいかなる言葉で把捉するかという、免責が引き起こす問題により批評的に踏み込む読解の可能性が示された。また、引揚げ文学が抱える植民地主義の問題や戦後の無責任論への接続など、より広い問題意識のなかで本作の位置を問う見方についても議論がなされた。
・和田崇氏「一閃した小林園夫のプロレタリア詩:「てめえ」と「あいつ」と「俺達」」
現在ではほとんど知られていないプロレタリア詩人・小林園夫の伝記的事実と文学的営為に新たな光を当てる貴重な試みであった。1927~1929年頃という限られた時代の一齣にまさしく「一閃」した小林のプロレタリア詩をめぐって、当時の運動との関係やその詩的表現の特性などが明らかにされていく。同時に、消息不明の無名詩人として忘却されつつあった小林の伝記的事実についても、ドイツ語訳の存在などをはじめ、新たな発見が複数報告された。和田氏の調査は、現在おそらく最も詳細かつ網羅的な小林の作家紹介を可能にするものといえるだろう。そのうえで、小林の詩の歴史的な位置づけと分析が、特に詩の人称表現に着目しつつ行われた。同時代のプロレタリア詩の動向を代表するような形式性が看取される一方で、芸術大衆化論を先取りするような表現面での工夫など、小林の詩に独自の面もまた見出されたことは興味深い。さらに、ドイツ語への翻訳/アダプテーションについては、人称をめぐる語の変更から、より連帯感を強調するような効果が析出できることなどが指摘された。プロレタリア文学の国際連帯をめぐる氏の研究展望において、小林が担う位置取りの重要性を強く感じさせる分析であった。質疑では、詩のなかでの視点の切り替えなど、表現をより深く掘り下げていく論点や、小林の営為の出発点が匿名の投稿詩であったことの位置づけなどをめぐって議論が交わされた。また、同時代のプロレタリア文学運動の理論的枠組みとのかかわりにおいて、小林の詩をどのように評価することができるのか、検討が加えられた。
以上、3本の研究発表が行われ、白熱した議論が交わされました。
その後、『フェンスレス』第6号編集企画案打ち合わせが続けて行われました。
(文責・加藤大生)
第33回占領開拓期文化研究会印象記(2019年12月26日 於同志社大学)
後藤大介氏 サイズ7の占領――村上春樹「トニー滝谷」論――
後藤氏は、村上春樹「トニー滝谷」を取り上げ、占領の記憶を消費社会の直中において描き出した作品として考察する発表を行った。氏は本作が、父・滝谷省三郎と息子トニー滝谷の親子二代の物語を描いていることに注意深く目配りし、戦後の出来事を描きながら、語りの現在が一九八〇年代後半という消費社会的な要素が前面に出されていることに着目していた。その上で、消費社会における記憶の表象可能性/不可能性、記憶の分有の問題として「トニー滝谷」を読解する発表であった。
まず氏が提示したのは、省三郎のモデルと思われるトニー谷についての詳細な研究である。作品の中での滝谷省三郎という人物が、トニー谷という実在の人物の履歴とつき合わされることによって生じる人物解釈の深みから、本作を、大量消費社会(一九八〇年代)にあって、戦争や占領期の記憶を問題化する着眼点がより明確になったように思われる。さらに、大量消費社会における記号の消費と表象作用の問題が論じられた。そこで、「物」との遭遇をひとつの〈出来事〉と捉え、それを「生成経験」として意味づける考えを導入して、結末部を読解する発想は非常に示唆的であった。個人的にはここに欲望の問題を参入させて考えるとどのような観点が得られるか、と興味がわいた。
質疑応答も非常に盛り上がり、息苦しくなるシーンの多さについて、父子関係への着目、マルクス実在論の問題、妻の身体の問題等々、多くの論点が提示された。
加藤大生氏 享楽としての「敗北」――花田清輝「大秘事」論――
加藤氏は花田清輝「大秘事」における剣振丸の身振り「敗北主義」について、「敗北主義の哲学」が形成されていくありようについて、花田の非暴力思想との接続を図りつつ発表を行った。ここで重要なのは本発表が単に「敗北主義」の内実を明らかにすることを目的にしたものではなく、「敗北主義」の安易な一義化を回避し、「敗北主義」が形成されるプロセスを読解することに重きを置いている点である。
本作は「平曲」の大秘事のひとつ「剣の巻」から出発しているが、氏はまず多くの資料を横断しながら、「剣の巻」が武家政権台頭の合理化をその物語展開内に含みこんでいることを指摘した。その上で花田の企図が「剣の巻」の持つ武力=暴力中心主義の論理とは異なる論理を、当の「剣の巻」から立ち上げることであることを明らかにした。これは花田が支配階級/勝者によって語られた既成の歴史認識を、別様の物語や歴史認識として書き/読み換えようとした作家であるという、氏の一貫した研究成果からも明らかであろう。
次いで、剣振丸が賭博、曲芸、独り相撲へと変遷しながら実践を繰り返していく過程をつぶさに分析することで、暴力/対抗暴力の循環構造を切断する剣振丸の「敗北主義」が形成される道程が考察された。「敗北主義」の内容ではなく、それが形成されるプロセスこそが本発表において重要であったのは、「敗北主義」が、単に負けを目指す合理目的な論理ではなく、「敗北」へと至るプロセスそのものを享楽する精神の在り様と偶然性に主眼を置いた概念であったからであろう。
非常に刺激的な論考であった故か、質疑応答でも非常に活発な議論が交わされた。
八原瑠里氏 横光利一「青い大尉」試論――喪失と憂鬱――
八原氏は横光利一「青い大尉」を、同様の題材である父の死を描いた「青い石を拾つてから」との比較の中で論じる発表を行った。具体的には、同様の題材でありながら横光が「青い大尉」の方を新感覚派的な表現の例証とした点に着目し、そこから新感覚派文学たる強度がどこに依拠するのかを論じること、作品空間の地名を明記しないことにどのような意図や効果が生じているのかを論じることの二点を中心的な目的として据えた。
氏は緻密な比較から「青い石を拾つてから」に比べて「青い大尉」に描かれる登場人物が少なくなっていることを分析し、その理由を債鬼/債務者、「私」/「娘」という関係に物語を集中させる狙いがあったと分析した。また空間を抽象化し匿名化することによって、人間の心情と空間の影響関係に注目させる効果があることを論じた。
質疑応答では藤原氏、和田氏、高木氏、伊藤氏、中井氏等々手があがり、活発な議論が交わされた。横光利一の研究者が揃ったこともあり、非常に多角的な論点が提示されたという印象があり、改めて横光利一研究の活発な状況を窺い知ることができた。
研究発表の終了後、和田氏によって『フェンスレス』の特集企画について、また第五号『フェンスレス』の刊行についてなどの議題が投げかけられた。詳細はあらためてメンバーに連絡されるとのことである。
(文責:岩本知恵)
佐々木幸喜氏 安部公房「デンドロカカリヤ」の素材と構成
佐々木氏は、1949年8月に「表現」へ発表された版である安部公房「デンドロカカリヤ」を取り上げ、安倍が登場人物それぞれの立場を描き出す上で拠っている文献に関する分析を行なった。具体的には、語り手である「ぼく」は「ダンテの神曲」、「ドゥイノの悲歌」に、コモン君は「一冊のギリシヤ神話」、H植物園長はカー・アー・ティミリヤーゼフの「植物の生活」内の記述に依っているとのことであるが、私は発表を聞きながら安倍がどのような経緯でティミリヤーゼフの著作に触れたかに興味を抱いた。経緯については調査中とのことであるが、今後の研究の展開を楽しみにしたいと感じた。また、個人的な興味としてデンドロカカリヤ=ワダンノキをめぐる戦後の小笠原諸島の問題にも興味を抱きながら発表を聞いていた。質疑応答は、坂堅太氏や岩本知恵氏、程非凡氏などといった安部公房研究者が揃ったこともあり、非常に活発な意見の交換が行われた。質疑の中では顔を境界にした人/植物への変化を扱った他の作品との発展の可能性や、安部が作品に進化論を取り入れた意味などが意見として提示された。発表や質疑応答を聞きながら、改めて安部公房研究の活発な状況を窺い知ることができた。
轟原麻美氏 司馬遼太郎『坂の上の雲』論――柳原極堂「友人子規」との比較から――
轟原氏は、司馬遼太郎『坂の上の雲』と柳原極堂「友人子規」を比較し、『坂の上の雲』などの司馬作品に対する「本当らしさ」の生成過程を探る発表を行なった。発表では、司馬『坂の上の雲』内の記述が、ことごとく柳原「友人子規」内の記述に酷似していることが示された。もちろん司馬は細部を書き換えてはいるものの、あまりの酷似ぶりには驚きあきれる思いを抱かざるをえなかった。ただ、司馬に限らず歴史的事象を扱う文学作品において、証言や記録といった典拠の記述をいかにして独自の表現に昇華させるか、もしくは研究者もそのような作家の苦悶の痕跡をいかにして捉えることが可能か、このような問題提起としても今回の発表は非常に示唆に富むものであったと感じた。轟原氏は結論において、「史実に100%基づいて書いた」といった司馬の言説を覆すことができると述べていたが、前回の轟原市の発表と併せ、あらためて『坂の上の雲』をめぐる言説の問題が浮き彫りになったとの感を抱いた。また作中における方言について、誰が正誤のチェックをしていたのかといった疑問が質疑応答でなされたが、私も沖縄の文学を扱う上で作家が使用した方言については注意しなければならないと常々思っていたので、この問題についても轟原氏のさらなる考察の提示を期待したい。
両氏の発表後、泉谷氏によって占領開拓期文化研究会の第1期の終了と、次回からの新体制移行の報告が行われた。詳細はあらためてメンバーに連絡されるとのことであった。
(文責:栗山雄佑)
第28回 占領開拓期文化研究会 印象記(2018年3月25日:於同志社大学)
・奥村華子氏「語/騙られる炭鉱――井上光晴『虚構のクレーン』を中心に」
長崎県崎戸炭鉱における朝鮮人労働者の差別問題。暗さとやりきれなさを描き出す本作に注目したことにまず価値ありだが、氏の報告が凡庸でなかったのは〈虚構〉という、可能性に満ちた領域への注目がなされた点にある。経歴詐称の疑いにさらされた作家・井上光晴の書きものを、実証主義的な真偽において裁くのでなはく、既存の真理性それ自体を問い直す新たなニセ=「語/騙」りとして定位する試みは、方法論として革新的だ。
匂いをはじめとした労働者たちの身体的特徴が、異民族をヒエラルキー下層へと差異化する日本人の欲望をかりたてる過程も、本文より確認された。それを、悔恨共同体を基盤として安易に盛り上がりつつあったナショナリティに対する、戦中世代の批評として取り出した手つきに、鮮やかさがあった。炭鉱表象を継続的に研究されまた最近、在日朝鮮人による文学にも関心を広げておられる氏でなくては、成し得ない内容だったことは間違いない。
作家情報についての詳細、方法論と作品内容のさらなる連絡、〈虚構〉として読む手がかりとなる引用箇所など、見取図を具体化せんとする方向の質問が、多くでた。個人的に頷いたのは、大西巨人と光晴の営為が似ているという指摘である。戦後において過去を振り返るなかで、実際の経験を超えた要素を混じえつつ、記憶や物語が構成されていくこと。ポスト真実という鍵語や、フェイクニュースの流行など、改めて真理性が問題にされる今日、新たなる〈虚構〉の領域の析出は、文学研究者が状況にコミットしていく確かな経路だと納得した。
・井上大佑氏「ゲストからキャストへ――筒井康隆「ベトナム観光公社」論」
氏が積極的に言及されていたわけではないが、物語やその消費といった言葉が一時、批評を盛り上げたことを記憶される方も多いだろう。作家が読んだテレビ論を踏まえ、ベトナム戦争報道一連の言説を射程とした作品のアクチュアリティが析出された本発表は、実体的でないものが消費の欲望をあおりたてる、今日的な枠組がすでに六〇年代には高度な達成をみせていたことの証言としてあったように思う。筒井作品の系譜を熟知する氏らしく、消費の枠組からの逃走可能性をめぐって、後続の作品との書きわけが示されていた点も十分な作業量を感じさせた。
ダニエル・J・ブーアスティン。氏はまず彼の社会学中の〈擬似イベント〉なる用語を丹念に読み込み、流行の新婚旅行先や人とは異なった〈面白さ〉を求める人物たちの興味のもちかたを、その影響下にある形象として定位された。丁寧な突合せ作業自体が先行論では看過されてきたようであり、僭越ながら発表者の真摯な姿勢を好もしく感じた。質疑に対する実直な氏の応答を通じて、そのような印象はさらに強まった。
多様な角度からの質問があったが多くは、筒井の準備した枠組のなかで作品論を展開することが、作品を安易に消費してしまう姿勢に繋がってしまうことを危険視したものであった。先行論との異ならせ方に意識的であったし、報告の新規性が十分にあることはもちろんだが、そのうえで別の枠組からの見直しや、同時代の社会学者を超えていく指摘を期待する声が出た。南ベトナム大隊戦記をはじめとする言説の分析や、物語性を超える視覚的な刺激への欲望といった要素は、限られた時間のなかで捨象されていたとも思われたので、その盛り込みによって、論がさらに揺るぎないものになると確信した。
・伊藤純氏「"プロ運動資料集を読む会"のご紹介――山田清三郎アンケートを読む会第一回経過報告」
今野賢三、加藤由蔵、中野正人、吉田金重、山川亮………。今となっては忘れられた、初期プロレタリア文学の担い手たち。運動史家・文学史家として著名な山田清三郎が1929年に実施したものの、公にされてこなかったアンケートが翻刻・紹介・分析された。『種蒔く人』や『新興文学』など雑誌を拠点として、ロシア10月革命に共振しつつ広がった〈大正労働文学〉、その書き手らが回答者である。その前年に蔵原惟人「プロレタリア・レアリズムへの道」が公にされ、主流は見えやすくなっていった。いまだ十分に明らかにされているとはいい難い前史の解明に、寄与する報告であった。
昨年、丸善雄松堂より『昭和戦前期プロレタリア文化運動資料集』が刊行されたことは、本ブログでも以前に紹介しているが、アンケートはこの著作が編まれる過程で報告者の眼にとまったものである。1929年の実施と明記されているが、戦後に加筆された傍線の加筆もあることから、どう生成していったのか謎も多い。しかし「生地」「生年月日」といった基礎情報に加え、「略歴」「プロ文に入ってきた動機」「主な作品」がそれぞれの作家自身によって記されていることは、事実確認的な価値を軽く超えて、運動が歴史化されつつあったまさにそのとき、文学者たちが自らをどうそこに繰り入れようとしていた/していなかったかを明らかにする。スクリーンを使っての紹介もあったので、生資料ならではの雰囲気も存分に味わえた。たとえば、秋田雨雀の筆致は想像以上に神経質だ。
『戦旗』/『文芸戦線』とそれ以前との世代間の確執や、清三郎がアンケートをとった理由など資料の基礎情報をめぐって、意見が交換された。一点ものの資料の扱い方に加え、その読み方の理想形が示された、興奮必須の報告であった。ただし、年度末ということもあってか、報告の内容に興味を持つであろうメンバーでやむなく出席できなかったものがいたのではなかろうか。なんらかのかたちで活字化され、資料として利用できるようになることを強く祈る。
・発表の終了後、会の今後についての報告がなされた。懇親会では議論の続きや、文学をめぐってのなごやかな歓談が交わされた。
(文責:藤原崇雅)
第27回占領開拓期文化研究会印象記(2018年1月21日 於立命館大学)
ヴレタ・ダニエル氏 武田麟太郎「ある除夜」について
ダニエル氏は、井原西鶴から影響を受けていた武田麟太郎に注目し、武田が西鶴を摂取した最初の作品である「ある除夜」の考察を行った。発表では、年譜や武田の記述を基に、彼が「大阪人」としてのアイデンティティとリアリズムの観点から西鶴を評価し著作に摂取した足取りを辿り、また武田が表現の自由を求め風俗作家に転向したことが示された。その上で、「ある除夜」について、西鶴「平太郎殿」との共通点と武田が焦点を当てた場面、作中に登場する労働者の「ヒソヒソ」と行われる運動の相談の描写、そして旧来の風景を圧迫するかのように進出する大資本に対する武田の批判意識が指摘された。
発表の総括において、ダニエル氏が提示したプロレタリアを書くために「西鶴的に書く」ことに代表される武田の試みについては、個人的にも興味深かった。質疑でもあったが、作品で描写された近代的な空間の合間にある旧来の光景とのコントラスト、そして武田における「大阪人」というアイデンティティの問題など、今後のさらなる考察を聞きたいと思った。
藤原崇雅氏 武田泰淳『中国忍者伝 十三妹』における白話小説の受容
藤原氏は、中国文学者としての経歴を持つ武田泰淳が、白話小説の大衆化を企図し執筆されたと推定される『中国忍者伝 十三妹』を取り上げた。そして、先行論が作品の主題に迫りきれていなかったことを踏まえ、典拠となった白話小説との差異、作品が表出した問題について考察を行った。考察では、泰淳が底本とした刊本の特定と作中で登場する人物の出典が示された。また、社会的な不正を英雄が正すといったメインプロットに、泰淳が『三侠五義』における韓少年の挿話を十三妹が話す〈ややこしい話〉として接合したことについて、女性に対する暴力によって清朝の腐敗を強調する物語が形成されたことが指摘された。その上で、十三妹が清朝における男女の不均等な関係に対する抵抗の記号として民衆に流通していることを示し、泰淳が十三妹の語らなさから一般の女性にならんとする女性を烈婦として主体化する暴力を記述したことが示された。
藤原氏の発表の主軸に置かれていた女性に対する抑圧、暴力、そして女性を烈婦として主体化することの問題は重要な指摘であると思う。男性社会に対峙する女性に対する期待、そして消費が、1960年代において中国における烈婦、日本におけるくノ一といったキャラクターに担わされていたことについては、個人的にも考えたい問題であり興味深く聞いていた。
轟原麻美氏 〈明治百年〉における小説と歴史学―司馬遼太郎『坂の上の雲』論
轟原氏は、歴史学を中心に論じられてきた司馬遼太郎『坂の上の雲』の文学性の検討を行い、作中における「天佑」といった言葉と主人公である秋山真之の関係について考察を行った。考察では、まず一九六七年の明治百年の祝賀とこれに対する歴史学者からの批判を踏まえつつ、作品が明治百年に併せて発表されたこと、2009年に作品がドラマ化された際に歴史学者から批判が相次いで発表されたことが示された。その上で、歴史的事象を書いていないことの問題、そして文学として解釈を行う必要性が提起された。その上で、作中において繰り返される「運」そして「天佑」に着目し、戦果を「天佑」と捉えることが歴史学の範疇を超えたものであり、かつ秋山真之に関連したものであるとした。そして秋山の伝記を援用しつつ、「天佑」といった非・歴史科学的な事象の描出によって文学の観点から戦争と一個人の関係が描かれていることが明らかにされた。
「司馬史観」に代表されるような歴史学からの評価の合間から、文学として『坂の上の雲』を評価しようとした考察は、大変興味深いものであった。折しも明治百五十年を寿ごうとする昨今において、明治百年の祝賀に対する作品の位置を探る試みは意義深いものであると感じた。
3氏の発表後研究会総会が行われ、事業報告の後に研究会の今後の活動についての提案が行われた。
(文責:栗山雄佑)
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